不可能を嫌うモハメド・アリの人生に学ぶ~反骨精神を貫いた人生哲学とは~
スポンサードリンク
モハメド・アリの死去
出典:
モハメド・アリ - Wikipedia
排血性ショックでお亡くなりになったモハメド・アリの伝説の人生を振り返りたいと思います。
生い立ち
1942年生まれ。
12歳の時、自転車を泥棒されたことに腹が立ち、その時対応した警官にボクシングを勧められる。
1960年にローマオリンピックで金メダルを獲得した。
1964年には、世界ヘビー級王座を獲得。
黒人差別と闘った
金メダルを捨てる
金メダルを獲得後、米国に帰国して行ったレストランで、金メダルを見せ名前も名乗ったが、黒人であることを理由に入店を拒否される。
俺は米国の名誉の象徴として、オリンピックの金メダルを獲得した。
米国の人間が俺にそんな扱いをするというのなら、
俺も米国の名誉、金メダルなんか要らない
と言って、オハイオ川に金メダルを投げ捨てたと伝えられています。
キャンシャサの奇跡
1971年ジョー・フレザーの戦いで初めての敗北を経験する。
3年後のジョージ・フォアマンとリングに上がる。当時とてつもなく強い40戦全勝37KOという歴代のヘビー級王者で最高のKO率を誇るフォアマンに全盛期ではないアリは勝てないとされていた。
しかし、強烈なパンチを8ラウンドまでガードで耐え抜きフォアマンの体力を奪い、8回で奇跡の逆転KO勝利した。
アリ・ボンバイエ
1976年、アントニオ猪木との格闘技世界一決定戦を行う。この際、アントニオ猪木は、仰向けで蹴り上げる戦法に専念。時間切れ引き分けになる。
この時、アリのテーマソング「アリ・ボンバイエ」が猪木に贈呈された。有名なテーマ曲イノキ・ボンバイエは元はアリの曲だったんですね。
1996年7月19日、アトランタオリンピックの開会式で聖火を灯す。
この時に、先述の入店拒否からの金メダル投げ捨てのエピソードが紹介され、金メダルが再授与された。
モハメド・アリの名言
モハメド・アリは数々の名言を遺しています。
リスクを取る勇気がなければ何も達成することがない人生になる
50歳になった時 20歳の時と同じように世界を見ている人間は
人生の30年を無駄にしたということだ
あなたは世界一のごみ取集人になれる
世界一のモデルにだってなれる
たとえ何をやろうとそれが世界一なら何も問題ない
不可能とは、自らの力で世界を切り開くことを放棄した臆病者の言葉だ
ふかのうとは、現状に甘んじるための言い訳に過ぎない。
不可能とは事実ですらなく、単なる思い込みだ
不可能とは宣言するものではなく、挑戦するものだ
不可能とは可能性だ
不可能とは一時的なものにすぎない、
不可能なんてありえない。